ごぜ唄を聞きに2009/02/22 23:40

 昨日、里帰りしていた長女と6ヶ月の孫を送りがてら、
(というか、新幹線で同行したのですが)予約していた
芝居小屋に「ごぜ唄」を聞きに行ってきた。
新幹線からは久しぶりに
ちょこっと雲の切れた富士山にも出会えにっこり。

 新潟・長岡の最後のごぜさんである小林ハルさんは百三か百四歳で
数年前亡くなられたのですが、
そのハルさんが九十歳を過ぎてから晩年を過ごした施設に通って
ごぜ唄を直接伝承された萱森直子さんによるごぜ唄です。

 新潟の方ではごせ唄も地味に継承され続けてきていたようですが
東京では今回訪れたブローダーハウス他では少ないのではないでしょうか。

 今回一年ほど前に続き二回目の公演ですが、
新潟まで何度も足を運び、資料を集めつつ企画プロデュースされた、
荒木さんや枝さんはじめ、みなさんの意気込みがひたひた感じられました。

 今回、萱森さんの長岡ごぜ唄はとても落ち着きとゆとり、なにより
伝承への心意気が深く感じられ、物語の哀愁に惹かれた。

 ラジオやTVの無かった時代、農閑期に、あるいは雪深い
夜の長い冬に、村村の人々が盲目のごぜさんによる三味線唄物語や
他の村のうわさ話等を楽しみにしていたことが
萱森さんによる「葛の葉の子別れ(1段目)」を
聞いていると伝わってくる。

 厳しい風土に中で慎ましく働き、だからこそ、
盲目のごぜさん達の懸命に自立する姿に自分たちを重ねることが
出来たのだろうし、
今またごぜ唄が見直されている部分があるとすれば、
自分を見失いがちなグローバル社会の中、
「一生懸命生きていれば助ける人が必ずいる」っていう
郷愁ともいえるモラルが見直されているのかもしれない。

 葛の葉子別れは その昔、大阪泉・信田の森の狐が
助けてもらった「安名」の許嫁・葛の葉姫に化け、童子丸という
子をもうけながら、ほんものの葛の葉姫がやってくることになり、
泣く泣く信田の森に帰らねばならない気持ちを切々と話すのですが、
心の内が苦しいとき、我慢が多いとき、人は他者の哀切に
心を寄せて癒されることが多いのだと思う。

 田舎で育った私も、ごくごく幼い頃、
村の神社の集会所のような場所で、流れ旅芸人の芝居を観た記憶が
あるのですが、芝居が終わった後、
体中に白く塗ったおしろいのはげた
思いの外年取ったしわだらけの首や着物から見えた年いった太ももに
感じた切なさを思い出す。

 今、生後十ヶ月になるオマゴチャンを週末を除き預かり、
かわいがっていることもあり、
狐の葛の葉姫の「童子に乳房を含ませ、それより信太へ帰らんと」
という行きつ戻りつの心情にぐぐっとくるものがあった。

 三味線一つと地声でのシンプルな芸の大きさを思った。
来年も違う段を聞きに行きたい。